1980年代後半、日本経済がバブルに沸き、日本の株式市場は世界でも例をみないくらいの活気を帯びていました。その当時、日本でも海外でも世界の三大株式市場は「東京、ロンドン、ニューヨーク」と言われており、世界共通の認識でした。
しかしその一方で、実際に外国株式を投資したことがある日本の個人投資家は非常に稀でした。いや、個人だけではなくプロフェッショナルの投資家でも外国株式を扱っている人はごく少数でした。当時はまだ取り扱っている証券会社が少なかった上に、インターネットがない時代だったために、日本で手に入れることができるリアルタイムの海外ニュース、相場の情報、取引方法に関する情報がいずれも少なく、またその方法も複雑でした。それに加えて日本国内の市場が十二分に活気を呈していたために大多数の人が投資対象を日本の株式や不動産に限定し、あえてリスクを冒してまで複雑で理解しにくく、取引方法も難しい外国株の取引に手を出そうという人が少なかったわけです。日本の証券会社も国内の株式を売ることに全力集中していたために、わざわざ手間をかけてまで理解しにくい外国株式を取り扱おうをするところは稀でした。
それが日本のバブル経済崩壊により、大きく変わりました。
日本では株式市場が大幅に下落し、それと共に日本経済全体が低迷し始めました。株価は底値をついたまま横ばいを始め上昇の兆しが見られないままの状態が10年以上も続き、金利も史上最低の低金利が続いています。その一方でバブル以降の円高は続きっぱなしだったために、海外への投資が次第に魅力的になってきました。
それと同時にインターネットが急速に発達して、誰もが海外の情報をリアルタイムで簡単に入手出来るようになりました。世界中のニュースがすべてリアルタイムで入ってくる上に、海外の株式市場の情報や、その取引方法、相場の傾向なども簡単に探すことができるようになりました。かつては一部のプロ投資家のみが入手できた情報を一般的な個人投資家が簡単に入手できるようになったため、外国株に投資するための環境が整ったといえます。
またそれに加えて各種規制の緩和、さらに各国の証券取引所の完全電子化、通信回線の飛躍的な質向上、取引システムの大きな進化、プロフェッショナルに限定されていた取引ツールの一般化なども大幅に前進しました。これらの要因がすべてプラス方向に働き、かつてはとてもハードルが高いと言われていた本格的な外国株取引が、プロフェッショナルな投資家だけでなく初心者の個人投資家を含め、簡単にできるようになったわけです。
今や海外の優良な証券会社が日本に多数参入しており、それに対抗するように日本の証券会社も各社ともに莫大な費用をかけてシステムを構築し、大外国株を積極的に取り扱うようになりました。そしてこれまで外国株とは縁がなかった個人投資家にも積極的にアピールするようになりました。さらに手数料も大きく引き下げられました。
外国株の取引は、今や誰にとっても非常に身近なものになったと言えます。